2022.09.07(水) 20:37
みにくいということ うつくしいということ
あなたがうつくしいと感じるモノは?
あなたがみにくいと感じるモノは?
宇宙、空、雲、海、山、風、花、草木、岩石、動物、魚、建物、食器、陶器、織物、家具、機械、車、街、人体、死体、排泄物、吐瀉物、、、
僕の乏しい想像力で列挙した要素には、すべてのヒトが絶対に美しいと言うであろうものも、醜いと言うであろうものもない気がするので、美も醜も、あらゆるものに宿っているのかもしれない、と思います。
僕が人生で一番尊敬していて大好きな方は、
「なにを美しいと感じるかはヒトそれぞれ。それよりも『美しい』ときいたら誰もが『理解る』こと、『美』というideaが在ることの方が不思議で着目すべきこと。」
というようなお話をいつもしてくださいます。
その方のそのお話で、僕はいつも少しほっとすることができます。その言葉を思い出せば、ループに陥った思考を中断してもらう事もできます。
僕はずっと、自身が物凄く醜いモノだと思って生きてきて、今もそう思っています。
恐らく、これから先どうあがいても、この感覚を完全に拭い去ることはできない気がしています。
しかしながら、醜いからこそ、その時その時の自身なりに、自身が醜悪と感じる状態にまではならないよう、ほんの少しでもマシな状態でいられるよう、最善をつくすことを心がけようとしてこられた気もしています。
こんなに醜い僕でも、生きて在ることを赦されたい。赦してほしい。
これは僕の我儘です。
僕は、人間が産まれるとき『また産まれてしまった』と泣いているのではないかと考えています。
産まれてしまえば死ねるまで生きなければならないこの世界を、全く赦されないまま生きなければならなくなる辛さは、想像を絶する。
僕は幸いにも、この生で、こんな僕を赦してくださる方々と出逢わせていただくことができました。
僕は我儘なので、その方たちに、僕がいいと考えることしかお返しすることができません。
それでも、とてもありがたいことに、その方々は、僕のひとりよがりのお返しを受け取ってくださいます。
僕を赦して受け取ってくださる方々の存在で、産まれてしまったこの世界で、なんとかまたもう一日、死ねるまで生きなければと希むこともできる。
とてもとてもありがたいことです。
ある日、既に枯れて雨に濡れそぼっている薔薇を、とてもとても美しいと思いながら眺めていたら、近くを通った方たちが
「もう枯れてしまっていてみすぼらしいね」
とお話しているのがきこえてきました。
『嗚呼、僕はこの姿の薔薇をとても美しいと思うけれど、そう感じないヒトもいらっしゃるのか』と知ることができました。
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