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日々

暦というのはヒトが定めたものにすぎないというのは厳然たる事実で、あと少しで2023年になるという感覚は全くなく、一応、社会の風潮に従って2022年を振り返ってみるかと思い考えてみたのですが、全く振り返ることができなくて驚きました。

ただ、好きにやらせていただくことができて、そのたびに、尊敬していて大好きな方々が僕を赦してくださっていることがとてもとてもありがたいと感じる日々でした。


一つ印象深いのは、2021年に僕は生まれつき腎臓が片方ないことがわかっていたため、
2022 年は、自身の躰に関して学ぶことが沢山あったことです。

ヒトは二つある腎臓を80%程度の力で運用して活動しているそうなのですが、
僕は一つの腎臓を100%の力で使用して活動せざるを得ず、疲れやすい傾向にあると教えていただきました。
運のいいことに、腎臓にまつわる疾患は殆ど皆無でこれまで過ごせていたので、
『元気溌剌なヒトではなかったけれど脆弱でもなく過ごしてこられたのは、この躰を構成しているモノたちが、どうにか生き延びようと頑張ってくれていたからなのかもしれないな。』
と思えて、この躰の状態を知りできるだけ健やかに保つための方法を学ぶようになりました。
2022年は、躰のことで新たに学んだことが沢山あったので、2023年は、引き続きこの躰のことをもっと知りたいと考えています。


最近体調が芳しくない状態が続いて、表現活動としては動くことができていませんが、自身の行いたいことを改めて見つめる良い機会となりました。
躰が日々変化し続けているのでうたえ方も日々違っていて、今までの自身とうたえ方が変わっていっているのを感じられるのもとてもたのしいです。
『慾動の森』で由美さんや朗さんと語らいたいと思う事柄も日々増えていっています。

僕というモノが何なのか、僕の行いたいこととともに見つめながら、2023年も、やりたいことをやりたいようにやりたいだけ行えるよう努めたいと思います。


皆様、2022年は大変お世話になり、誠にありがとうございました。

2023年も、皆様がなさりたいことをなさりたいように、なさりたいだけ行うことができますように。
皆様と皆様の大切な方々が健やかで、穏やかな時間を共有していただけますように。
2023年も、何卒よろしくお願い申し上げます。

こえという音について

「録音された自分の声を聴いて違和感はない?」


そう尋ねられて、録音された自身のこえを聴くことに、以前ほど苦手意識、嫌悪を感じなくなっていることに気が付きました。



録音された自身のこえすなわち自身の躰の外に響いているこえが、自身だけが聴くことができる自身の躰内で響いているこえと違っていて嫌悪をおぼえるという状態は、強度の差はあれど誰もが経験していることなのではないかと思います。


録音された自身のこえに触れる機会が増える中で、躰外に響いているこえは、躰内に響いているこえの最も低い部分が削られ、高い部分が強く表出されているのだと気が付くことができ、苦手意識を持っていた音が、以前から自身に備わっているモノの一部であると気が付くことができました。


最も低い音を含んでいるからなのか、聴き慣れているからなのか、躰内で響いているこえを心地いい、好ましいと感じやすい状態にあるように思います。



高い音はよくとおり、低い音はとおりにくいので、躰内では自身のこえに備わった最も低い音を体感できていますが、躰外では、発した躰の構造によって吸音されるのか、ヒトの聴力では認識できないのか、最も低い音は聴こえなくなることが多いのではないかとも想像します。


楽曲の録音を経験させていただけたことで、性能の良い機械を通せば、躰内に響いているこえにより近い音を録音、認識することが可能になり、機械の性能によっては、自身の体感したことのないこえの性質に触れることもでき得ると知ることができました。



「Vocalistは体が楽器である」というような言い回しがあります。

僕がVocalistではなく、Vocalizerという表現を選んでいるのは、ただのモノであるという意識をより強く反映できる気がするからです。

躰という道具を通してこえという唯一無二の音を発生できる得体のしれないモノ。

僕がただ音を発する得体のしれないモノとなって、音楽という表現の一部になりたい。

音に限りなく自身を添わせて音そのものになりたい。

そこに言葉は介入し得ない。


こえという音について考えながら、

『僕の躰内で響いているこえを、僕の躰ひとつで、他者にそのまま体感してもらうことができるようにすることは可能だろうか』

そんなところに至ることができました。

みにくいということ うつくしいということ

あなたがうつくしいと感じるモノは?


あなたがみにくいと感じるモノは?


宇宙、空、雲、海、山、風、花、草木、岩石、動物、魚、建物、食器、陶器、織物、家具、機械、車、街、人体、死体、排泄物、吐瀉物、、、


僕の乏しい想像力で列挙した要素には、すべてのヒトが絶対に美しいと言うであろうものも、醜いと言うであろうものもない気がするので、美も醜も、あらゆるものに宿っているのかもしれない、と思います。


僕が人生で一番尊敬していて大好きな方は、
「なにを美しいと感じるかはヒトそれぞれ。それよりも『美しい』ときいたら誰もが『理解る』こと、『美』というideaが在ることの方が不思議で着目すべきこと。」

というようなお話をいつもしてくださいます。
その方のそのお話で、僕はいつも少しほっとすることができます。その言葉を思い出せば、ループに陥った思考を中断してもらう事もできます。


僕はずっと、自身が物凄く醜いモノだと思って生きてきて、今もそう思っています。
恐らく、これから先どうあがいても、この感覚を完全に拭い去ることはできない気がしています。
しかしながら、醜いからこそ、その時その時の自身なりに、自身が醜悪と感じる状態にまではならないよう、ほんの少しでもマシな状態でいられるよう、最善をつくすことを心がけようとしてこられた気もしています。


こんなに醜い僕でも、生きて在ることを赦されたい。赦してほしい。
これは僕の我儘です。
僕は、人間が産まれるとき『また産まれてしまった』と泣いているのではないかと考えています。
産まれてしまえば死ねるまで生きなければならないこの世界を、全く赦されないまま生きなければならなくなる辛さは、想像を絶する。
僕は幸いにも、この生で、こんな僕を赦してくださる方々と出逢わせていただくことができました。
僕は我儘なので、その方たちに、僕がいいと考えることしかお返しすることができません。
それでも、とてもありがたいことに、その方々は、僕のひとりよがりのお返しを受け取ってくださいます。
僕を赦して受け取ってくださる方々の存在で、産まれてしまったこの世界で、なんとかまたもう一日、死ねるまで生きなければと希むこともできる。

とてもとてもありがたいことです。


ある日、既に枯れて雨に濡れそぼっている薔薇を、とてもとても美しいと思いながら眺めていたら、近くを通った方たちが

「もう枯れてしまっていてみすぼらしいね」

とお話しているのがきこえてきました。

『嗚呼、僕はこの姿の薔薇をとても美しいと思うけれど、そう感じないヒトもいらっしゃるのか』と知ることができました。

花押を作成させていただきました

ある日、「ヘラジカハモリニカヱル」のアイコンとなるものを作成しようと思い立ち、最後に筆を手にしたのはいつだったか思い出せないほど久方ぶりに筆をとりました。


アイコンの試作を重ねるうちに、筆による書が、とてもとても自由で、かいている時の状態が如実に反映されること、それ故に、書道を「習っていた」頃の自身にとっては、苦手意識の働くものであったのだということにも気が付くことができました。


あらゆる場面において自身から発生している情動、言葉、行動などは、全て自身に備わっているものであり、全てが自身なので、「どれが本当の自分であるか」という問いにあまり意味はないという考えが僕にはあります。

(『LIGHTING』の歌詞にある『本当の自分さえわからずに』という表現は、僕の中では、上記のような意味での『本当の自分』ではなく、意図は別のところにあります。)

ただ、相対する場面、状況によって、自身から発するものに制限をかけざるを得ないと感じることは多々あり、ヒトによって制限をかける強度が違ってきます。

僕は昔から、制限をかける強度が他のヒトと比べて強くなりがちなようです。


うたいたいからうたうのだと自身を赦せるようになってから、改めて筆をとって、赦せるようになった自分にとって筆による書はしっくりくるものなのだと体感することができて、僕の想像でどこまでできるか試したい、そんな思いになりました。

筆を使って、想像の赴くままに文字をかきすすめることがとてもとてもたのしかったのですが、あくまでもそのたのしみは自身の中で、自身だけで昇華するつもりでいました。


朗さんが、「ヘラジカハモリニカヱル」のアイコンとした書が僕の手によるものであると知った途端、流れるように、

「わたしにも書いて欲しい」

と言ってくださった時、一も二もなく承知しました。

僕の手によるものを、他の方から望んでいただけるとは思いもよらず、物凄く嬉しかったです。


朗さんは、制限をかけていない僕の在り方、状態を、いつも赦してくださいます。

そしていつも、当たり前のように言葉をくださって、その言葉は涼やかな風のように、僕が意識的、無意識的に作り上げている制限や枠組みをはらう方向を見せてくれ、背中を押してくれます。

そんな朗さんに、僕の初めての作を捧げる機会をいただけたことが物凄く光栄で、本当にありがたいです。

僕は朗さんの、物語の一部を切りとったような雰囲気の写真が好きなので、僕が作成した花押を、朗さんの写真でブログに紹介していただけたことも、とてもとても嬉しかったです。


朗さんの描かれる漫画や、つづられる言葉から、真摯に日々を積み重ねておられる朗さんの姿を垣間見させていただくことができるので、是非触れてみていただきたいです。

嘉村朗さんの公式ホームページ

https://www.kamuralow.com/

嘉村朗さんのブログ

https://low-k.hatenablog.jp/

嘉村朗さんのTwitter

https://twitter.com/kamuralow