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2022.11.22(火) 22:11

こえという音について

「録音された自分の声を聴いて違和感はない?」


そう尋ねられて、録音された自身のこえを聴くことに、以前ほど苦手意識、嫌悪を感じなくなっていることに気が付きました。



録音された自身のこえすなわち自身の躰の外に響いているこえが、自身だけが聴くことができる自身の躰内で響いているこえと違っていて嫌悪をおぼえるという状態は、強度の差はあれど誰もが経験していることなのではないかと思います。


録音された自身のこえに触れる機会が増える中で、躰外に響いているこえは、躰内に響いているこえの最も低い部分が削られ、高い部分が強く表出されているのだと気が付くことができ、苦手意識を持っていた音が、以前から自身に備わっているモノの一部であると気が付くことができました。


最も低い音を含んでいるからなのか、聴き慣れているからなのか、躰内で響いているこえを心地いい、好ましいと感じやすい状態にあるように思います。



高い音はよくとおり、低い音はとおりにくいので、躰内では自身のこえに備わった最も低い音を体感できていますが、躰外では、発した躰の構造によって吸音されるのか、ヒトの聴力では認識できないのか、最も低い音は聴こえなくなることが多いのではないかとも想像します。


楽曲の録音を経験させていただけたことで、性能の良い機械を通せば、躰内に響いているこえにより近い音を録音、認識することが可能になり、機械の性能によっては、自身の体感したことのないこえの性質に触れることもでき得ると知ることができました。



「Vocalistは体が楽器である」というような言い回しがあります。

僕がVocalistではなく、Vocalizerという表現を選んでいるのは、ただのモノであるという意識をより強く反映できる気がするからです。

躰という道具を通してこえという唯一無二の音を発生できる得体のしれないモノ。

僕がただ音を発する得体のしれないモノとなって、音楽という表現の一部になりたい。

音に限りなく自身を添わせて音そのものになりたい。

そこに言葉は介入し得ない。


こえという音について考えながら、

『僕の躰内で響いているこえを、僕の躰ひとつで、他者にそのまま体感してもらうことができるようにすることは可能だろうか』

そんなところに至ることができました。

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