2023.03.22(水) 21:55
躰について
『躰ってなんなのだろう。』と、いつからかずっと考えています。
「肉体は檻。そこから出たいという感覚になることがある。」
そう教えてくれた子が居ました。
初めてそのお話を聴いたとき、とても衝撃的でした。
僕は、躰に在るから感じられるのだと考えていたので、そうでない在り方を想像したことがありませんでした。
生後1年までの赤ちゃんが、自身の手をまじまじと見詰めていることがあります。
そういう様を発見できると、何を考えながら見詰めているのだろうと思います。
腕や脚は、躰に在る、意識と名付けられたもので動かすことができます。
しかしながら、躰の各所に配置された臓器…心臓、肺、脳、肝臓、腎臓、脾臓、胆嚢、胃、腸、血管を流れる血…自律神経と名付けられた躰の内部を常に同じ状態に保つ機能や、細胞と名付けられた小さなものたちは、意識とは無関係に活動しつづけて、躰を生かしつづけている。
ただ静かに居る時は、心臓の拍動や血液の流れる音がきこえたり、網膜に血流が写ることもありますし、躰を動かしている際にも、動いている筋肉を感じることもありますが、僕らの意識というものは、その活動の詳細を認識することはほとんどないのではないかと思います。
僕の躰には右側の腎臓がないそうです。
「ないそうです」というのは、医療機関にかかって撮影した画像を見せてもらっても、解剖図とは違っていて明確に認識できないので、右側の腎臓が本当にないのか、今でも理解していないからです。
ただ、躰を動かしている時、左側は中身が詰まっている感覚があって右側ほど伸び感を得られなかったり、左側重心の安定感と右側重心の安定感に違いがあるのは、得手以外にもそこに臓器がないことが要因としてあるかもしれないと感じています。
「手の小指がなくなったらどうなると思う?」
高校生のある時、授業中に先生から問いかけがありました。
手を何度か握ったり開いたりしてみて、小指と小指側の掌で力がこもっていることに気が付き、小指が損なわれた場合、握力と腕力が大幅に弱まる可能性があるのではないかと思いました。
「小指ぐらいなくなっても、と思うかもしれないけれど、身体の部位は全てに役割があって、なくなっても問題がない部位はない。ヒトの身体はそのようにつくられているんだよ。」
先生の言葉がとても印象に残っています。
整体師さんとお話をさせていただけるようになって、
整体の世界では、躰のあらゆる部位、躰と躰にあるもの(精神、意識と名付けられたもの)の関連が詳らかにされていることを教えていただくことができて、とても勉強になります。
最近教えていただいた事柄では、
左肋骨下には感情抑圧点と呼ばれる部分があり、言いたいことを言えずに我慢しているとその部分が固くなるそうです。
非常にたくさんの部位に連動している処であり、異常があると様々な症状が引き起こされ、一例として、頚椎と関連して片頭痛や顎関節症、聴覚と関連して突発性難聴を引き起こすことがあるそうです。
また、緊張で躰が固まりすぎていると、躰が常に痛みを感じているので希死念慮が強くなることもあるそうです。
整体師さんによると、僕の躰は緊張が強いそうで、
躰が疲れている時の方が思ったとおりにうたごえが出る気がするのは、緊張している精神が疲れで崩れて緩んで、余計な力みがとれているからかもしれないとも想像します。
躰と、躰に在るモノである僕を見詰めるたびに物凄く不思議で、最終的に、
「これは本当に一体何なんだ?」と思わずにいられません。
2021年に呼ばれたかと思うような出逢い方をした河津桜の元に、2022年3月19日に再訪しました。
その時の僕は、
『僕が生きようが死のうが世界は変わらず、上昇する円環をたどり続ける力が尽きるまで在りつづける。
世界は変わらないけれど、僕だけが見えて、感じられて、触れられているものが確かにある。
それを感じられるのは、僕に躰があるからこそではないのか。』
と文章を残しています。
2023年3月19日も、色々なことがある中で、
ヒトという種全てに共通する「自然」とはどんな状態だろう?という問いを得たり、整体の世界にも触れながら、『躰ってなんなんだろう?』と考えつつ日々を過ごしていて、「躰が在る」から「躰に在る」という表現がしっくりくるような気持ちになっていることも、2022年よりも考えが深化できているような気持ちになることができていて、僕も、上昇する円環を辿れているのかもなと思うことができて、少し嬉しいです。
上昇する円環は繋がり続けているので、今から過去へ自在に行き来できるような気がします。
探究心を喪わずに、考えて、感じ続けていたいです。
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